ライツネットワークメンバーの長田 友喜子プロフィール
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長田 友喜子
Yukiko Osada  
怪我を克服し、感じ取った挫折と成功。アテネ五輪競泳(バタフライ)日本代表
1981年5月14日生まれ、山梨県出身。山梨学院大学法学部法学科卒業。
甲斐市役所所属。座右の銘/努力
長田友喜子
世界の檜舞台を目前に、突然の挫折
3歳の時に家族とプールに行った事をきっかけに水泳を始め、それ以来、水泳の魅力を知る。体は決して大きい方ではなく、筋肉も付きにくい体ではあったが、持久力が優れていたことから人一倍の努力を積む。
そして、高校1年の時に出場した日本水泳選手権、200mバタフライで、突然優勝し、世間を驚かせた。
それから5ヵ月後、これから世界の舞台に立ち、トップ選手になろうと思っていた矢先、下校中にトラックの荷台からU字鉱が落下するという交通事故に遭う。肋骨骨折と内臓出血で全治3ヶ月と診断される。医師からは絶対安静を言い渡されたが、手術後2泊目に病院を抜け出す。1人でプールに行き、ひたすらプールサイドを歩いたり、今自分にできることを少しずつ行った。水の中に戻れたのは2ヵ月後だった。
25mも泳げない自分に落胆するが、水の感触を味わえた喜びも感じた。しかし、試合に出場しても結果がでない日々が続く。この怪我の影響で長らく不遇の時を過ごす。

怪我を克服して掴んだ大きな夢
医師との約束を破ってまでプールから離れなかった「ひたむきな情熱」と、試行錯誤しつつも「泳ぐことが好き」な事から生ずる“我慢強さ”と“思い切り”のよさで、長年の苦悩を克服。
事故から5年後、2002年に日本水泳選手権200mバタフライで2位となり、2003年バルセロナで行われた世界水泳にも出場。さらに同年のユニバーシアード大会で2個の銅メダルを獲得。小さい頃からの夢でもあった「オリンピック選手」が目標となった瞬間でもある。
そして、2004年、ついにアテネオリンピック代表の座を掴み取った。
どんな逆境でもめげずに、「水泳」から逃れなかった一筋な思い。怪我を克服することによって、得られたオリンピック出場の夢。そして、何よりどんな時でも支えてくれ、暖かく長い目で見守ってくれた家族、コーチ、先生方、友達と沢山の方への感謝の気持ちが今の自分を形成していると考える。
現在は甲斐市役所に勤めながら水泳教室を開催したり、講演会を行い、水泳の楽しさを沢山の人と一緒に感じ、「夢を思い続ける」ことの大切さを伝えている。

主な競技歴
1997年 日本水泳選手権 200mバタフライ 優勝
パンパシフィック大会 200mバタフライ 8位
2002年 日本水泳選手権 200mバタフライ 2位
2003年 世界水泳 200mバタフライ  9位
ユニバーシアード水泳大会 200mバタフライ 3位、メドレーリレー 3位
2004年 アテネオリンピック 200mバタフライ 代表
講演テーマ
・挫折と大きな成功
・スポーツで体を動かすことの気持ちよさ
現在の活動
職場での水泳教室を始め、地元から県外まで講演会や水泳教室を行っている。
 
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