ライツネットワークメンバーの盛田幸妃プロフィール
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盛田 幸妃
Kouki Morita
横浜ベイスターズで大魔神佐々木とのWストッパーとして一世風靡した彼が、野球人生どころか生命の危機でさえある脳腫瘍に。その絶望の淵から不屈の闘志と妻の支えで見事に復活。奇跡のリリーバー。
盛田幸妃
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略歴
1969年11月21日生。北海道出身。函館有斗高校時代は3度の甲子園出場。88年、ドラフト1位で大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)入団。92年には、佐々木主浩(現・マリナーズ)とのダブルストッパーで大車輪の活躍、最優秀防御率のタイトルも獲得する。98年トレードで大阪近鉄バファローズへ移籍。8月までに主に中継ぎとして5勝をあげるが、8月末に脳腫瘍が見つかり9月に手術。すぐにリハビリを始め、翌99年シーズン最終戦に392日ぶりの1軍復帰。そして、2001年6月13日、ダイエー戦の中継ぎ登板で手術後初めての勝利投手になり、この年カムバック賞も受賞する。2002年10月現役引退。通算成績47勝34敗29S。
2015年10月16日、45歳で永眠されました。
主な競技歴
1984年 鹿部中・3年時 全道(北海道)準優勝
1985年 函館有斗高校・夏の甲子園出場(1回戦敗退)
1986年 函館有斗高校・春選抜出場(2回戦進出)
1987年 函館有斗高校・夏の甲子園出場(1回戦敗退)
1988年 大洋ホエールズ・ドラフト1位入団 5/21中日戦で1軍デビュー
1992年 中継ぎ・ロングリリーフで、最優秀防御率のタイトル獲得 オールスター監督推薦出場
1993年 球団名が【横浜ベイスターズ】に
1994年 背番号が15から17に変更
1995年 背最多試合登板 2度目のオールスター監督推薦出場
1998年 トレードで大阪近鉄バッファローズへ移籍 8月までに主に中継ぎとして5勝をあげる
しかし5月末頃から右足首の違和感・痙攣などが起こり、8/13、1軍登録抹消
検査の結果、ゴルフボール大の脳腫瘍が見つかる
9/10、12時間に及ぶ手術 執刀医より【車椅子生活も覚悟するように】と宣告される
1999年 脅威の回復力で、4/13からファームでの練習開始。
8/26、藤井寺球場でのウェスタンリーグ・中日戦にて現場復帰。
10/7、ロッテとのシーズン最終戦で、392日ぶりの1軍復帰を果たす。(2打者に1奪三振1四球)
2000年 完全復活が期待されたが、キャンプでのわき腹故障が響き、オフには戦力外を通告も…
2001年 大減俸を飲み、背水の陣で挑んだこの年、34試合に登板し2勝を挙げ、チーム12年ぶりのリーグ優勝に貢献。オールスターも【中継ぎ部門】でファン投票1位に選ばれる。
カムバック賞受賞
2002年 若返りの進んだチーム状況で1軍での出番なくなり、10/6大阪ドーム最終戦登板を最後に現役引退
現在の活動
講演
  【夢をあきらめない】。
  横浜でのWストッパー時代  近鉄への移籍と脳腫瘍発症のショック。12時間におよぶ手術。
  厳しいリハビリ。妻の支えや周囲の人々から与えられた勇気。
  野球に対する思い・・・など

野球教室
  キャッチボール、ピッチング等の実技指導。

テレビ出演
  TBSラジオ 2003年シーズンより解説。

著書
「彼女がくれたマウンド」

「彼女がくれたマウンド」(光文社)
大阪近鉄バファローズ 盛田幸妃・倫子/著

前半部分は、少年時代から甲子園、横浜へ入団後、近鉄へのトレードまで。本当の戦いが始まるのは、第八章の「異変」から。脳腫瘍から生還して、400日ぶりのマウンドに立った、その復活までの夫婦二人三脚の物語。

ライツからの一言
脳腫瘍摘出手術をした翌年…。近鉄のホーム球場だった藤井寺球場で見事「生還」復帰登板を果たした日。
「奇跡の復活」と大騒ぎの世間をよそに、彼のコメントは「復帰はしたけど、まだ復活はしていない」。恐ろしいほど冷静に自分を見つめていました。
そして、手術から3年後。横浜時代には経験できなかった優勝というステージへ向け、チームの大事な一員としてプレーしている姿がありました。全盛期の頃と比べスピードはおちていたかもしれませんが、そのピッチングは、チームを一丸とするような気迫がこもっていました。野球に対する思いも昔とはずいぶん違ったと言います。
その、壮絶な戦いを淡々と語ってしまうような彼の人生美学が、彼を「奇跡の生還」たらしめた原動力なのかもしれません。
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