ライツネットワークメンバーの石井琢朗プロフィール
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石井 琢朗

Takuro Ishii

広島東洋カープ
青から赤へユニフォームを変え、優勝の味を知る仕事人がカープを救う
輝かしい記録の裏には、投手断念野手転向という苦難の時期を乗り越えた強い信念がある。だから人の痛みがわかり、感謝の気持ちを忘れない。常に前向きであり、現状に満足せず進化を続ける。それが「琢朗主義」である。2007年琢朗アスレティックアカデミーを設立。
石井 琢朗
略歴
1970年8月25日栃木県佐野市生まれ。足利工業高校(栃木県)出身。身長 174cm、体重 75kg。
本格的に野球を始めたのは、小学校3年生。父親が監督を務める「学童野球クラブ」。足利工業では1年生からエースとして活躍、2年生の夏は甲子園のマウンドに立つ。
89年ドラフト外で大洋に入団。憧れのプロ野球で1年目の10月、初先発初勝利。順調なスタートを切ったかに見えたが、その後2年間は勝ち星なし。そんな中で頭をよぎったのが「野手転向」。日に日に意志が固まり3年目の秋、遂に監督に直訴。忠徳から改名し92年から“野手石井琢朗”の歩みが始まった。卓越した野球センスと意志の強さで、野手転向2年目の93年に初の盗塁王を獲得。翌年は全試合出場、95年初の3割をマーク。球界を代表するリードオフマンに成長。98年のチーム38年ぶりの日本一に大きく貢献し、「人生初のうれし涙」を流す。その後も最多安打、全試合出場、などコツコツと積み重ねて2000本安打を達成。投手として勝利をあげた選手の2000本安打達成は、“神様”川上哲治以来50年ぶりの快挙。年間150本安打8回は長嶋茂雄、張本勲に次ぐ歴代3位。
主な競技歴
1987年
高校野球 夏の甲子園大会出場(1回戦敗退)
1989年 横浜大洋ホエールズにドラフト外で入団
プロ初先発初勝利(10月10日ヤクルト戦)
プロ初安打(10月10日ヤクルト戦)
1992年 野手転向
登録名を「石井琢朗」に変更
1993年 盗塁王
ゴールデングラブ賞
1994年 ゴールデングラブ賞
1995年 オールスター出場
ゴールデングラブ賞
1997年 オールスター出場
ベストナイン
1998年 オールスター出場
盗塁王
最多安打
ベストナイン
ゴールデングラブ賞
1999年 1000本安打達成(7月15日阪神戦)
オールスター出場
盗塁王
ベストナイン
2000年 オールスター出場
盗塁王
ベストナイン
2001年 オールスター出場
最多安打
ベストナイン
2002年 1500本安打達成(8月22日巨人戦)
2005年 146試合フルイニング出場
2006年 2000本安打達成(5月11日楽天戦)
2082安打の球団安打最多記録達成(8月12日ヤクルト戦)
2007年 350盗塁達成(5月13日広島戦)史上15人目
2000試合出場達成(6月13日日本ハム戦)史上38人目
250犠打達成(7月12日中日戦、史上11人目)
2008年 3000塁打達成(5月14日巨人戦、史上42人目)
シーズン終了後、横浜ベイスターズを自由契約となり広島東洋カープへの入団を発表

◎通算成績(2011年終了時点)
  2382試合 8596打数 2425安打(二塁打372 三塁打50 本塁打102) 打率.282 打点668 得点1296 盗塁358
著書
・「疾走!琢朗主義」(2002年 / ベースボール・マガジン社)
著書
石井琢朗オフィシャルブログ「超・琢朗主義」
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